−ウラ雑感〜もしくは徒然なる感情の置き場−

2002/02/09

冬季五輪開会式。
はいはい、毎度おなじみの開拓の歴史、それロスでもアトランタでも見たような気がしますが。ま、それはいいんですけど。 ショーアップということに関しては、たいしたもんです。
ハミルトンには泣けた…。

しかし、あの例の星条旗、あれだけはね。もうげっそり。うんざり。

ま、あの演出を素晴らしいと言う人々は多いのでありましょう、彼の国では。
他の国々では、何十万何百万という人が、死んでいるのにね……。一発の爆弾で何十万人殺していてもそれは正義なんだもんね、そちらの論理では。
自分たちで「悪い国」と決めたら、そこで暮らしている人がどんなに苦しもうが、がんがん生活破壊して正当だって言うんだもんね。
あたしゃ、あそこまで無条件に狂信できる無邪気さに恐怖を覚える。

ってことをとめどなく連想していくくらい、ありゃーある意味逆効果でもあるわけで。

もちろん、アメリカ人の友達もいるし、アメリカに住んでいる友もいるし、個人個人はとてもいい人たちなのだと思う。
ある一部の発言をひっぱって「日本人は…」と言われたらたまんないし。
そこのところは、わかっているつもり、なんだけれど。

要するになんていうか、ほんっと無邪気なガキなのね。あの国は。オリンピックにそういう色を持ち込んで、当然と思ってるんだからなぁ。自分と違う価値観を認められない人たち。
多様な価値観が雑多に集まって当然のその場に。
どーしても××××したいらしい、彼の大統領。あーあ。


2001/11/12

この項はupまで相当迷ったので、何が書いてあっても逆上しない、毒を食らわば皿までよ、とそういう広い寛容な心をお持ちの方のみ、先へお進みください。 人様の神経を逆撫でしたり、傷つけてしまうことは、本当に本当に嫌なので。。。 でも、このページのこのコーナーは、私の心情の置き場であるので、残しておきたいことは残しておきたいのです。

シニアとして初めての国際試合。
応援する家族や親戚、友達、クラブの仲間、どんなにか健闘を祈る人たちが居ただろう。
そしてそう簡単に現場に行かれるわけではないのだ。
せめてTV放送で、頑張る姿を観て、喜ぶ人たちがどれだけ居たと思っているのだろう。

期待のエースは2位の凱旋(ちょっとまだ悔しいけどな^^;。<贅沢者)。
熾烈な争いを勝ち抜こうと、決意を漲らせた女性の快心の演技。

それを。

“無駄な時間”? “見る気を無くした”? “非常識”?
そこまで言うか。
久々に頭から火を吹いたね。

ひとりだけでも、一箇所だけでもないし、確かに2位までってのは反感を買うだろう。私も驚いたし。
でも、感情的になる前に、一歩下がって冷静に人数計算すれば、この大会がイレギュラーなんだ、って推測できると思うのだけれど。
以後の大会の放送時間も同じだということを考え合わせれば。でもそうもいかないのが、人の心か。

書いた人は、別段裏に深い意味を持たせたわけでは無く。
素直に自分の欲求と不満を言葉にしただけだろう。それほどの不満があったのだということも想像することはできる。

しかし考えたことはないのだろうか。
軽く放った自分の欲求、自分の言葉が、どれほど他人を傷つける可能性があるかということを。(ここで我が身を振り返る……。可能性は、とても怖い)
まさか、意識して傷つけるための言葉であるなら、それはそれで潔いかもしれないが、人としての人格を疑う。

今回の放送スタイルが良かったのか悪かったのか、私にもわからない、言えない。
しかし、制作側も、意見を容れつつ試行錯誤でつくっているはずだ。
確か去年は、「演技を編集するな」「SPも放送して」こんな意見が殺到していたはずではなかったか? 振り返るに。

それを容れての、今回の放送だろう。
女子選手上位2人のSPの放送も、それが息詰まる展開でまた素晴らしかったから、したのでしょう?
もしくは、可愛い女子の放映が長い、というのは昔からの流れだし。この二人のファンも多いし。

「ご贔屓選手が放送されない、しかも、放送されるべきであろう順位にいたというのに」
「純粋にメダリストを観たかった」
その気持は私だって痛いほどわかるから、ちょっとタイミングが悪かった、だけではすまされないのだろう、と想像もできるから。

放送時間があと、10〜15分、長かったらな…。時間がまだあると思っていたらエンドマークが出て、ミニ番組が始まったとき、さすがに私も頭抱えましたよ。次に起こることが想像できてしまって。。。

しかも時として感情の矛先は、選手に向いてしまったりするから。
それは相当醜悪なことではない?

せめて、番組をより良くしていってもらうために、励ます形でリクエストはできないものか。
願わくば、そう………。激情にかられてではなくて。ただ文句や抗議を叩きつけて終わりじゃなくて。

そして。
ここは日本なのだから。国内選手を中心に放映するのは自然なこと。エース選手に対してはインタビューもあるだろう。ましてや今回はメダリストでもあるのだし。それは他のどの国でも、どんな競技も同じでしょう。


♯♯今回は受信料を払っている人なら、何か言う権利もあるかな…?
これが民放だったら……試聴はタダなんだしスポンサーでもないんだからさ、と時折思うことがある。放送は社会奉仕と違うもん。

哀しかったり腹が立ったり、あまりのことに笑っちゃったり、それは当然私もあるよ。
「反響」として声を送ることもある、でもちゃんと礼を踏まえて、あからさまな権利として主張はしないし、できない。
と、私は思う。皆に同じ意見であれ、と押し付けることはできないことも、知っている、つもり。だけど。たまにガキになってしまう…かしら? どうだろ? そいつは我ながらアカンと思うのだが…(^_^;

TVって、ここまで……と思うと、ちと空恐ろしい気もする。


2000/12/17

『みんな幸せなのに、わたしみたいな不幸な人間が姿を見せちゃいけなかったのよ』
『あんたなんかにわかるはずがないでしょう』

カタルシスを得られたのでしょうかね、この言葉で。ずっと何処かで言ってみたくてしょうがなかったんだろうか。
悪いが、現実は安っぽいドラマ通りに進行などしない。

“幸せ”とはデフォルトのものではない。

いかに皆が日々の幸せを維持しようと死に物狂いで努力しているか。自分が不幸だ不幸だと悲しみ、その悲しみを実は噛み締めて楽しんでいる(しかも本人はそう思ってない)人は、その努力に思い当たりもせず、ただただ感情を垂れ流して我侭さを誇示して見せる。
去るのは別にかまわんが、いかにその場の人々を侮辱し傲慢だったか、まるで気付かずすべて“わたしは不幸なの”に集約してそれにすがる。
ただの甘ったれでしかない。歳いってる分、よけいに始末が悪い。

皆が真剣で必死に生きてる人間だったことに感謝すること。わからないかもしれないけれど。
仕事のこと、奥さんや子供のこと、好きな相手のこと。笑い話にしながらも、みんな一所懸命なんだから。
それがどれほどの努力と真摯さに裏打ちされたものか。天から与えられたもんじゃない、
幸せは、当たり前のものではないのよ。

純粋さと無知さは、全然違う。

わたしも我侭で世間知らずだったけど、傷つくべきところでしっかり傷ついてこれた。相手を100%悪者にできる程の箱入りさんでもなかったし(笑)。
その場では悔しい悲しい、しかし今は傷つけてくれたひとに感謝の気持ちもある。
人が成長していく過程では、そういう場面が必要だ。

とはいえ、まだまだ、未熟モンではあるけれど(^^;。

彼女が気が付くときがくるのだろうか。
でないと、本当にひとりになってしまうよ。
ひとりで生きていける筈が無いことを、現にさんざん関わって生きていることを、いつか理解できるだろうか。

もしかしてまた再会することがあったときに。
貴女はそのままか、それとも変わっているだろうか。

できることなら、変わっていて欲しいけれど・・・わたしの気持ちは、そこまでだ。
気付かせる役目は、しないよ。御免蒙る。

そこまでする覚悟は、よほど大切な人でなければ、できないことです。