〜1997-1998〜

◆Stars on Ice 日本公演

1997/06/07〜06/08
東京都 国立代々木競技場

昨年度に引き続き、特別出演。
◇第12回 ダイエーDLLカップ大会

1997/08/11〜08/13
松戸市 アイスアリーナ新松戸
☆☆
長野オリンピック 代表に正式決定


1997/09/16 日本スケート連盟発表。
冬季五輪史上、日本男子代表選手としては最年少。
◆チャリティー・フィギュア・エキシビション
 ―― 長野オリンピックハーモニー ――

1997/09/28
長野市 ホワイトリング

強化合宿の最終日に、プロ選手も混じって行われた
チャリティ・ショー。
♪「エル・シド」(一週間前に完成。初お披露目)
♪「I believe I can fly」
◇スケートアメリカ

1997/10/23〜10/25
アメリカ ミシガン州デトロイト ジョー・ルイス・アリーナ

♪SP=「Tico Tico」
♪FS=「エル・シド」
◆郡山市 磐梯熱海アイスアリーナ オープンイベント

1997/11/16
♪「I believe I can fly」

故郷・郡山のリンクでのエキシビション・イベント。
アイスホッケーのエキシビション演技や氷上ゲームなども催され、
ショートトラックのデモ滑走では、お兄さんの浩史さんが登場。
めったに見られない“兄弟競演”となった。
◇NHK杯

1997/11/27〜11/30
長野市 ホワイトリング

♪SP=「Two Minute Warning」
♪FS=「エル・シド」

“前向きな姿勢、次が楽しみ”
フリーで4トウに挑戦、転倒。痛めていた右足を、再び捻挫。
しかし逃げずに挑んだことに意義がある、とエールも。

「足を完全に治して、オリンピックに間に合わせたい」

◎SP Marks
5.35.45.45.45.45.45.45.35.5
5.45.35.35.35.35.35.35.35.3

412541433

◎FS Marks
5.34.74.75.15.05.15.45.25.2
5.44.94.95.35.25.35.35.25.3

41010877565
☆☆
右足首の怪我が思わしくなく、全日本選手権を棄権。
治療とプログラムの手直しのため、渡米。

12月から、ガリーナ・ズミエフスカヤ コーチに師事。
◇冬季オリンピック 長野大会

1998/02/07〜02/22(男子SP:12日 FS:14日)
長野市 ホワイトリング

♪SP=「Two Minute Warning」
♪FS=「エル・シド」

SPの衣装は、お母さんの手作りで。/デイリープログラム

“本田洗礼@ニにフリーへ”
「緊張して身体が浮いてしまって………。 初めてだし、今回は
出れただけでも嬉しい。 これ以上下がることは無いと思うので、
後は攻撃していくのみです」
―――SP終了後のインタビュー

◎SP Marks
4.74.54.44.64.84.44.64.54.7
5.55.15.25.35.45.25.35.35.3

81819141418161718

“本田全力 華麗に舞う”
スタート直後の3アクセルをきれいに決め、その後も情感のこもった演技で
得点を伸ばし、フリーだけなら12位という成績に。

「お客さんの応援が励みになって頑張れた。4回転は、朝の練習で右足首の
調子が悪いのでやめました。4年後はメダルを取りに行きます」
―――FS終了後、地元紙より

◎FS Marks
5.45.25.45.25.45.55.35.35.3
5.55.45.25.15.65.55.35.35.3

10121213108141211
◇世界選手権大会

1997/03/29〜04/03(男子予選:29日 SP:01日 FS:02日)
アメリカ ミネソタ州 ミネアポリス ターゲット・センター

♪SP=「Two Minute Warning」
♪FS=「エル・シド」

予選にて。4回転トウループ、本番で初成功!
B組3位でSPに進む。

予選で成功した4回転ジャンプ。
フリーでは残念ながら決めることはできなかった。
終了後のインタビューでは目元を赤くして
「悔しい思いをしたシーズンだった」と語りつつ、
意識は前向き。

「長野五輪でやれなかったことをやれた。
転んでしまったけれど、恐怖心は消えていた。
来シーズンは大丈夫」

◎FS Marks
5.25.14.85.05.25.25.25.35.2
5.25.35.15.15.35.05.35.35.0
☆☆
4月より、アメリカ コネチカット州へ留学。
☆☆
田村岳斗くんとの共同写真集『氷上の貴公子』発売。
幼少時からオリンピック出場まで。

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