−徒然−
〜るんとフィギュアスケート 補遺〜

なんとなく、いつもどんな気持ちでスケートを観ているのか、ということを、ちょっと書いてみたくなったので。


フィギュアスケートという芸術は、全身表現。

物語なのか、ある感情なのか、何かの情景なのか、主張なのか、物体なのか、抽象なのか、テーマは何であれ―――。
音楽と一体となって、ただそこに、その世界が在って欲しい。



東京都、という比較的競技会数の多い地域に住んでいるおかげもあって。
国際大会から選手権、小さなローカル大会からショーまでいろんな競技会を観に行くようになった。

そして、至極当前のことだが、各大会ごとに、私の居る視点は変わる。
その大会の置かれている位置、次元、ステージ。そういったものによって、観方はまったく変わっている。

大きな大会であればあるほど、見方は自然と厳しくなるし、地方大会で頑張って滑る選手に、国際レベルの感覚を当てはめようなどとは微塵も思わない。

それぞれのシーンで、それぞれのスタイルで、その場の雰囲気で私は自然に楽しみたい。


何を観たのか、自分がそのときどう思ったか、自分で覚えておきたくて、観戦記を書くようになった。
いわば、覚書のようなもの。
と同時に、その場に居なかった人たちに、少しでも雰囲気を伝えたくて。

だから、観戦記も大会ごとに視点が変わる。思いっ切りひとりよがりのときもあるし、淡々と情景を伝えていくスタイルもある。

その違いは、心の居場所の違い。
冷静になれないときはなれない、そういうときは無理しない。「冷静」という文字には、どこかに出かけていてもらう。
おかげで、後から大赤面モノになる可能性も多々あるが。
このときはこう思ったのだと、開き直ることにしている。だから、そのまま置いてある。


字面は同じように「良い」と書いても、その意味や重みや心持ちは、ケタ違いだったりする。

だって視点が違うんだから。違って当たり前、なんだ。


あら。
なんだかとんでもなく偉そうな文章書いてますね。そんな大上段に構えるつもりはなかったのに。いかんいかん、
方向修正。

何より、一番大切なこと。どんなシーンでも、私はスケーターが滑っている姿が好き。

これだけは、変わらない。

大事なことなんです。「滑ってる」ってことが、私には。
そう、私はフィギュアスケートが好きで、フィギュアスケートが観たい。スケーティングが観たい。

どんなにノリノリでも、氷上Dancing じゃ嫌なんです。Figure Skating が観たいの。

(―――――あ。ここで言うdancingって、「アイスダンス」っていう意味じゃ、ないですから(汗)。「アイスダンス」は、好き)

そりゃもちろん、フィギュアはダンスの要素がとても大きくて、踊れる選手は大好きなんだけど。
でもあくまでスケートを観せる為の踊りであって欲しい。


もちろん、これすら次元やステージの違いで、当てはめるかどうかの比重は思いっ切り変動します。
ゴムひものような価値基準、と呼んでいる(^o^)。


だから、私が文章で「踊る」って書いたとき、それって実は最上級の誉め言葉では無かったり、します。
と言っても、たいがい情景描写として「踊る」って書くのであって、優劣としては殆ど使っていないと思うけど……。

それでもできれば「踊り」って、書かないで、滑る、スケート、って書きたい。
でも状況は「踊り」だったりするから、踊り、と書く。

踊り、でもいいんですよ。
上記の、それこそ次元・ステージの違いが大きくあるから。
ジュニアの子が一所懸命踊ってるのは、微笑ましいし頼もしい。そのまま上手くスケートに融合させていってくれるといいな、と思います。

そしてショーなどは特に、踊りの要素が高いでしょう? 群舞、って表現が一番似合ったりもするし。
(それなら、逆に床の上で観ても充分「踊り!」になるくらいになって欲しいなぁ。願望^^;)
本音は一番は、そりゃスケート、って表現したくなるものを観せて欲しいんだけど。プロスケーターだったらなおさら。

アマチュアシニアの、ハイレベルな大会で「踊り」とは書きたくないな。
でも「踊り」としか書けなく感じるものは、「踊り」。
昔は(特に男子は)「踊り」以前に「体操」って感、無きにしもあらずだったから、随分変わってきているのよね。

だから、否定とかマイナスの方向に捉えられると辛いんだけど。
できるだけ語弊の無いように、書きたいのだけど、難しい、なぁ。



同じ意味で、音楽がBGMに成り果ててる、っていうのも、ハイレベルな大会であればあるほど、好きじゃ、ない。

でも、随分多い(ミもフタもないですか?^^; 個人の主観なんで見逃してくださいまし!)。

エキシビションですら、できればただBGMで滑って欲しくない。

逆に、一流選手は例えノリノリのロックナンバーを選んでいても、しっかり「表現」しているもの。
BGMとは、似て非なるモノ。


スケーティングの技術とはまた全然別に、いわゆるこの「表現する力」の比重は私の中で随分大きい。

日本的にヘンに誤解されているような感覚に陥ることが多々ある、表現力とはバレエ的な踊りのことではない
と、思ってるんですよ。
きれいに踊れても、「あ、きれい」で終わったら、表現力とはいえないでしょ。
無骨でも不器用でも、ものすごく何かが伝わってくる選手もいる。

だから、よく私「雰囲気」って言葉を使うんだろう。
舞台役者でも、「存在感」の有る無しって私の中じゃそれほど誉め言葉じゃなくて、「雰囲気がある」っていうほうがポイントぐっと高いです。
(例えば、幽霊さんの役に「存在感」あったらおかしいでしょう。雰囲気で表現しないと)

この辺、先の「踊り」云々とシンクロしてますね。
なんていうかな、そういうこと。


ダンスも上手くてスケーティングも上手くて、なおかつ何かを伝える力がものすごく強かったら。
私にとっての「最高」になる、かも? しれない。

それ以前に、雰囲気やスタイルの好みが、大きくモノを言うんですけどっ!

―――――――結局そうか、と言わないで(^^;。

「好きな雰囲気」って、重要です。
顔やファッション的な意味でのスタイルじゃないのよ。

それからパッション。心。

大きいです。本当に。


フィギュアスケートは、全身表現。

ただそこに世界が在る、存在が在る―――――。

そういうプログラムが、観たい。



語り過ぎです(^^;。
なんでこんななっちゃったんだろ。っていうか、なんで書きたかったんだろ。
自分でもわからないんですが……。

『徒然』って表題にしたから、ほんとに徒然。問わず語り。
ふと、いっつも何を思ってるんだろう、って、具体的に文字にしてみたかっただけで。

やってみたら、えらい難しかった。

「間違ってる!」とか言わないでくださいませね。
個人個人の感覚は違うものは違う、という大前提を踏まえて、なおかつ真面目に「私はこう思ってるんだ」とくださるご意見ならば、謹んで拝聴いたします<(_ _)>


ここまでお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
そして――――――――お疲れ様でした(^^;。いや、ホントに。

まだまだ頑張ります。
自分の出来るだけ、頑張ります。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

2001/09/04
Goodwill Games フィギュア競技開始前日



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